2018/05/06

南蛮貿易って知ってますか?日本人と中国人、南蛮人とで行われていた貿易の事です。「南蛮人」とは、ポルトガル人とスペイン人を指します。ポルトガルワインを語るには、その当時の歴史を把握することが必要です。
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南蛮貿易
南蛮貿易の始まりは、16世紀の初めにさかのぼります。
1543年「鉄砲伝来」です。種子島にポルトガル商人が漂着しました。当時積極的な海外進出をして国力を伸ばそうとしていたのです。大航海時代、日本へのポルトガル人の最初の上陸でした。
そして、1549年には、フランシスコザビエルが、キリスト教を布教するために、薩摩に上陸しています。イエズス会の創始者です。そして、長崎の平戸、豊後、山口と布教活動をしました。ちなみにフランシスコザビエルはスペインのバスク地方生まれで、当時のスペインはポルトガルの国王が支配領土としていました。
この二つの出来事が、南蛮貿易の始まり、とされています。
南蛮貿易の港は平戸と豊後から始まり、九州の諸大名はポルトガルとの貿易を受け入れていったのです。平戸でポルトガル人を歓迎し、薩摩ではポルトガル船が頻繁に来れるようになりました。彼ら商人はイエズス会と協力してます。やがてポルトガル人はマカオに居住を始めて、地租を条件としてマカオの居住権を獲得しています。こうしてマカオを拠点として、日本・中国・ポルトガルの三国の商品が取引されるようになったのです。マカオにはポルトガル人や中国人の他に、インドや東南アジアからも住む者が現れ、人口が次第に増えていったのです。
その後、キリシタンが島原の乱により危険な存在と認識した江戸幕府は、海外との貿易やキリスト教徒の侵入を防ぐために、「鎖国令」を発します。鎖国中は日本とポルトガルは直接的な接触をしなくなりましたが、東南アジア各地の「日本人町」でポルトガル人との交易を継続していました。
南蛮貿易の日本への影響
鉄砲伝来
鉄砲伝来により、離れた距離より火縄銃をぶっ放すことが可能となり、草っぱらの戦場で敵と味方が入り乱れて刀で切り合うことが減り、防御を固める戦法が増えたのです。そして、戦が長期化すると兵糧などの補給が必要となりました。兵糧を沢山持つほど強くなるということで、豊臣秀吉に代表される経済力のある方が勝つ戦いが主流となったのです。戦も単に軍事力だけでなく、経済力が決め手に変わったのです。
鉄砲伝来は日本の経済を活性化させるきっかけになり、これを持って中世から近世に時代が変わっていきます。
キリスト教の布教
鉄砲とほぼ同時に入ってきたキリスト教の影響についてですが、実はキリスト教がおおやけに認められるようになったのは意外と遅く、明治6年くらいといわれています。フランシスコザビエルが我々の祖先に「愛」を持って布教してくれた文化文明が、明治~大正~昭和と綿々と息づき、開花していくのです。その功績として、「西暦」「クリスマス」「ハロウイーン」の定着があげられます。ぶどう酒(ワイン)の定着が割と遅かったのがうなづけますが、確実に西洋の文化が定着する要因となったのです。
以上のように、日本は経済が活性化され、多くの西洋文化を取り入れることが出来たのです。主に入ってきたのは、「乗用自動車」や「衣料品」、「加工トマト」、「コルク」などでした。特に天然コルクは今でも日本で高いシェアを持っています。その他、当時入ってきた文物は、「ボタン」や「タバコ」などで、ポルトガル語起源の名前です。
ぶどう酒(ワイン)も少ないながらもこのように入ってきました。最初に入ってきたのは、ぶどう酒「珍酡」(ちんだ)といい、ポルトガルの赤ワインだったのです。長い航海にも耐えうる赤ワインが、酒精強化されたポートワインだったのです。
ポートワイン:大航海に耐えうる酒精強化ワイン
ポルトガルは、ヨーロッパでも最も長いワイン生産の歴史を持つ国の一つです。ポルトガルには、今から2,000年以上前にフェニキア人やカルタゴ人たちによって、ワイン文化が伝えられ、ローマ帝国の時代にはローマにワインを輸出していました。日本に初めて伝えられたぶどう酒「珍酡」(ちんだ)の言葉の由来は、ポルトガル語で赤ワインを指すヴィニョ・ティント(vinho tinto)の「赤」(ティント)への当て字だったのです。その代表的ワインがポートワインです。
ポートワインの生産地:ポルト・エ・ドウロ
ヴィーニョ・ド・ポルト(Vinho do Porto)またはポートワインとは、ドウロ川上流で栽培されたブドウを原料としたワインで、醗酵の途中でブランデーを加えて醗酵を止めたものです。アルコール度数が高めで、甘口。またドウロ地域では、通常のスティル・ワインも多く作られています。「ポートワインは酒精強化されたワイン」「ポートワインの生産地はドウロ」これがキーワードで、覚えるべき用語です。
「ポートワイン」または「ヴィーニョ・ド・ポルト」はポルトガル北部のポルト港から出荷される酒精強化ワインです。ポルト・ワインともいいます。
ポートワインは、まだ糖分が残っている発酵途中にアルコール度数の高いブランデーを加えて酵母の働きを止めるのが特徴です。独特の甘みとコクがでるのです。また、アルコール度数が20度前後と通常のワインより高く、保存性が非常に優れているのです。このためポートワインは栓を開けてからも、風味の劣化、変化が起こることが少なく、長期保存が出来るのです。熟成する地域が指定されていて、そこで最低3年間、樽の中で熟成されたものだけが、ポートもしくはポルトと呼ぶことができるのです。長いものは樽の中で40〜50年の熟成を経て造られています。
赤と白があり、赤は輝くルビー色で「ポルトガルの宝石」と称されています。一般に、白は「食前酒(アペリティフ)」としておつまみなどと一緒に、赤は「食後酒」としてチョコレートや葉巻などと一緒に飲まれています。近代には、優良産地を保護するための原産地呼称制度をいち早く制度化してます。
その他のポルトガルワイン
ヴィーニョ・ヴェルデ
ヴィーニョ・ヴェルデ(Vinho Verde)は、「緑のワイン」とも言われています。緑のワインというとワイン業界ではよく出る用語ですので覚えておくと良いでしょう。ポルトガル西北端の大西洋に面するミーニョ地方で造られるワインです。弱発泡性で酸味がやや強く、若飲み用で、フレッシュでさっぱりしたワインです。明るい草色の白ワインがよく知られていますが、赤も4割あります。ロゼのヴィーニョ・ヴェルデも少数ながら生産されています。
https://accetory.jp/articles-073/
マデイラ
ポルトガル本土でなく、大西洋上のポルトガル自治領であるマデイラ島で、独自の酒精強化ワインが造られています。ポートワイン同様、世界三大酒精強化ワインのひとつです。世界三大酒精強化ワインとは、スペインのシェリー、ポルトガルのポート、マディラの3つです。
ダン
北中部、エストレーラ山脈の麓、ダン川流域の丘陵地帯で造られます。作家・檀一雄が名前つながりでこの地区のワインを愛飲していました。実際ポルトガルに住まわれていました。
リスボア
首都リスボン北部の沿岸~内陸にかけての地域でアレンケル、ブセラス、アルダ、コラレス、オビドス・エ・ロウリーニャ、トーレス・ベドラス等の地区で造られています。
アレンテージョ
南部の内陸部に広がる緩やかな丘陵地帯。使用する品種やブレンドのしかたなどの自由度が高く、あえてヴィーニョ・レジオナル格付(IGP相当)として造られています。
ポートワイン入門 南蛮貿易は日本とポルトガルの愛の架け橋のまとめです
南蛮貿易による文明開化
1543年鉄砲伝来
1549年フランシスコザビエル キリスト教(愛の)布教
ポートワイン:大航海に耐えうる酒精強化ワイン
世界三大酒精強化ワイン(シェリー、ポート、マディラ)
ポルト港から出荷される酒精強化ワイン
その他のポルトガルワイン
ヴィーニョヴェルデ
緑のワインとも言われます
マディラ
世界三大酒精強化ワインのひとつです
ダン
リスボア
アレンテージョ
